大して何か価値がある訳でもない記事を書いているけれど
しょうもない記事を書く意義はあるのか
何の変哲もない我が家の育児事情の一端を書き連ねています。
何の変哲もないものを、面白いコンテンツとして書く力もないので、何となくダラダラと書いているような記事を連ねているなぁと自分でも感じています。
なので、このような記事を書き続けることに何か価値があるのだろうかとしばしば立ち止まってしまいます。
ただ、立ち止まってみて、自分なりに意味を考えた時に、とりあえず続けようかな、というところに落ち着いたので、考えの整理に書いておきます。
日常の中での気付きに対する感度を高める
ブログの記事を書くという行為をとおして、普段何も意識せずにスルーしていく日常を、一旦何かしら形として残すという作業を行っている。
なので、言ってみれば、普段は特に意味を見出していないものに、何かしらの意味付けを行っているようなものかなと思います。
そして、こういうことを日頃から意図的にやることで、何か新しい発見やアイデアに繋がるきっかけを得ることがあるんじゃないかな、と思うので、まずはそこを習慣的にできるようになるといいな〜という点で、意味があるのかなと。
そういう考えに至りました。
アウトプットの質を改善していく
もちろん、つまらないものを書こうとしているつもりではないのですが、現状、こんなもんしか書けないのです。
そこは残念でしかない。
ただ、このことが、改善していきたいなーという考えに繋がっているというのが一つ。
そして、そのために色々とインプットしてみたり、改善策を考えてみたりできる訳です。
このような積み重ねをしながら、質が高まっているのかどうかを評価するためには、過去がどうだったのかを確認してみることが必要。
なので、ある時点で自分のアウトプットの質を評価するためにも、とにかく今のクオリティが低くても何かしら形にしていかないといけないかなと。
結論
とりあえず、需要がなくても頑張って日々思ったことを綴る。