僕が絶対音感を絶対視しない訳
昨日の記事で、子どもに音楽をさせる上で絶対音感を身に着けさせる気がないことに少しふれました。
何となく、絶対音感って身に着けておいて損のないもののようにもてはやされている気がしますが、僕としてはそのように思っていない訳です。
その辺りのことを少し書いておきたいと思います。
絶対音感があることのメリットとは
まず、絶対音感とは、聞いただけでその音の音名が分かる能力です。
なので、耳で聞いた曲を楽譜なくそのまま再現できるというのは便利ではあると思います。
聞いた曲をすぐに演奏する様は、おそらくかっこいいことでしょう。
また、譜面をみて、頭の中で再現できるので、楽器を持たなくてもイメージがつかめてしまうという点でも、有利だと思います。
これらを総じて、実音での音楽理解という面で、絶対音感のメリットだと思います。
絶対音感のデメリットはあるのか?
実際は、あまりないのかもしれません。
ただ、僕が個人的に感じるのは、音楽は絶対的な音程よりも相対的な音程で把握したほうが有意義ではないだろうか、ということです。
これは言語化して説明するのが難しいのですが、例えば、ドとラの音がなったとします。
これを、実音でドとラ、と理解するよりも、長6度だ、と理解する方が音楽的だと思うのです。
まぁ、絶対音感があれば、長6度だということも分かるのでしょうが、同時に、実音としてドとラだという認識から逃れられないことが、僕からするとデメリットのような気がします。
ただ、これはもう価値観の違いでしかないでしょうね。
僕の場合は、例えば、メジャーキーの中で主音に対して長6度と短6度の違いがどのようなものなのか、が大切であって、実音が何かはあまり意味がないと思っているのです。
そして、それはキーが変わっても相対的な音程の話なので長6度や短6度の持つ意味は変わらないのに、実音は変わるというところに意識が向いてしまうのって、邪魔な気がするのです。
僕が音楽をする時には、「ここで短6度のサウンドが欲しい」と思ったりする訳で、実音の♭ラが欲しい、とは思わない訳です。
まぁ、欲しい音が実音で何なのか分からないので、当然といえば当然ですが。
そんな感じで、僕の音楽に対する感覚は、中心の音に対してどの音程が鳴っているかが大事な価値観であり、本質なのです。
結論としては、その人の価値観
僕のようにギターをやってる人は、楽器の特性上、相対的な音程の方に意識が向きやすいかもしれません。
ギターって、移調しても指板をずらして同じこと弾くだけで移調できるので、実音よりも音程の方が大事なんですよね。
実音では分からなくても、主音からの距離感で何となく音楽的にどういうことをしているのかは分かるものです。
実音で理解してない分、好きなキーで再現することはできるかもしれませんね。
実音が何なのかを重視するのであれば、絶対音感を習得するのもありだと思います。