子育てと音楽の徒然雑記

長女:平成28年4月生まれ。長男:平成29年5月生まれ。二児の父親です。子育てをしながら感じることや、趣味のギターのことを自由に書いていきます。

我が家の子育てはクリエイティブか?

f:id:choppedparsley:20181111025718j:plain

標題の件、自問自答しています。

子どもとの関りを振り返って、なんだか、いかに一日をやり過ごすかということばかり頑張っている気がしました。

まだまだ人間の合理的な思考を習得していない子どもに、早くご飯を食べさせるとか、早くお風呂に入れるとか。

あちこちウロウロ行かれると困るからどうやって同じ場所で遊ばせておこうかとか。

結果的に、子育て自体が手間のかかる作業という色合いが強くなっている、というより、自分がそうしてしまっている。

 

自分の視点の角度を変える

子どもと関わっていて、本当に人のモノの感じ方って、自分のとらえ方次第なんだなと痛感します。

あまり良いことではないですが、自分の正直な感じ方として、娘と息子の内、どうしても娘の方が可愛いと思ってしまう。

なので、息子がするとイラっとする行為が、娘がした時に、イラっとしないことがあったりする。

(もちろん、なるべく表に出す態度に差は無いように、と意識はしてますが。)

この視差から分かるのは、相手のする行為に差が無いのに、受け止める側に差があるために感じ方が違うということ。

なので、子育てをしていてストレスに感じる場面は、実はストレスでは無いかもしれない。

ストレスに感じているのは、自分自身のとらえ方なのだ、ということじゃないのかなと思いました。

では、自分自身のとらえ方をどう変えたらいいのだろう、という問いにぶち当たります。

 

再度、子育てはクリエイティブか、という問い

子育てをクリエイティブにするとはどういうことか。

僕が自問自答して何となく得た一つの解は、大人だとしない子どもの行動を、面白いものとして捉えられないか、という視点。

だって、彼らの行動は、大人からするとあり得ないことだらけですから。

そこに面白さを見出すというクリエイティビティが、子育てをより楽しくする一つのヒントにならないかな。

別にお皿をひっくり返そうが、室内で靴を履いて歩き回ろうが、死にませんから。

腹を立てても、お互い何の得にもならない。

むしろ、こんな柔軟な発想で行動できるのは子どもの内だけです。

そう考えると、少しはイラっとする回数が減らないかな。

 

あともう一つの解として、親もあり得ない行動で対処できないか、という視点もあるんじゃないかと思っています。

意外と、子どもを相手にしていると、親もアホになって反応する場面ってありますよね。

叱ったりしつけたり、という普通の対応だけで子どもの行動を変えようとするだけじゃなくて、何か、アホな方法で子どもの行動を変えられないか。

ありきたりから脱却して、クリエイティブに挑戦していけばいいんじゃないかと思いました。

このような、自分の視点の角度を変えて、子育てをクリエイティブに楽しめる方法を見つけていけたら、という気づきでした。

 

因みに、今日の我が家。

娘はばぁばとお出かけで、息子は僕と一日一緒に過ごしました(ママは仕事)。

息子を公園に連れて行って、池の鯉に興味深々の息子をスマホで撮影して、夜に娘に写真を見せました。

そしたらそこから、「しゃかな(魚)、見に行く」と言って今にも行きたくて仕方ない様子になってしまい(夜7時頃)、寝るまで言ってました。

明日は、娘も連れて公園です。